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2007年9月15日 (土)

母性と父性

親ってのは。

 

母親も親。

父親も、親。

 

けど、どう違うか考えた事あっかい。

 

母性って、包容力。

父性って、じゃあ、なーんだ。

 

三人兄弟が居たとして。

出来が悪いのが、可愛い、っつーのが、ぶっちゃけ母性。

出来の悪いのを、なんとかいい方向に、現実的に必死こくのが父性。

母性は、出来が悪くても、何かが欠けてても、もう、全て許してる。

この世に、自分の子として、生を受けたその瞬間から。

 

なんてーのかなあ。

 

船が沈没しそうでさあ。

両親以外に、一人しか助けられない、ってなると。

ま、ツマの場合本音で言えば。

 

私はいいから、他のもう一人を助けてくれって。

ぶちまけて言うと、ママと一緒に沈んでく一人は、一番幼い子を選ぶ。

そこに、この子が生きてた方が後々、ああなってこうなって、って。

自分が居ない未来の計算が出来ない。

 

成長してる、もしくは。

ここまで大きくしたから、きっと大丈夫って、のが母性の選択。

一番下は、ママと一緒に居たいだろう、って憶測と。

ママが、心配で可愛くて、一緒に居たいんだって、エゴ。

そこに、生死の境はなく、とにかく連れていたい、になってる。

 

 

そこで、父親ってーのは、きっと。

それじゃ、三人兄弟の中で、誰を連れてくか、ってなると。

今までやらナンやらを振り返って「選ぶ余裕」がある。

子供を客観的に見れるって事だよね。

母親が居なくても、比較的「生き易そうな、強いタイプ」を選ぶんじゃね?

長男、とかね。

自分の歴史の長さ重さで、選ぶってーのも、あるかもしれねえけど。

 

間違っても。

まだ、乳飲み子で一番下、は選ばない。

 

強そうな、育て易そうな子を。

立派に育てるから、心配すんな、って形。

 

それって、父性が持ってる元々の素因だろうなあ。

そこに、愛がないってんじゃなく。

 

父性ってのは、決断力だと思う。

ここが悪い、そこが悪い、だから。

そこを分析して、決断。

母性ってのは、分析も何も、してみたトコで、可愛いが先。

決断に至るまで、それこそ、必死で決死だよ。

 

 

子育てをするって作業の流れでは。

 

父性ってのは、消去法とか減点法で、育てる事って多いと思う。

母性は、その逆で。

 

ここは、この子の苦手なトコだけど、やっぱ可愛らしい、つって。

減点もしなきゃ、消去もしねえ。

常に、加点法と増点法。

 

ダメだから、直さなきゃってんじゃなくて。

ダメだから、どうだってーの?って思考の巡り、 ポジティブっちゃーそうだけど。

これがないと、子育てって出来ねえから (笑

 

けど、結局。

世間だとか社会を見渡せる程度に、育児も一段落してくると。

母性のみ、ってトコから、社会人常識人ってのが顔出して。

やっぱり、直して上げた方がいいかしら?

そして、それをするのは、私にしか出来ないんだから、って。

またこれ、間違った決断になる方向性を孕んでるんだけど、そっちだろ。

 

母性ってのは、どうしても「切り捨て」が出来ない。

父性ってのは、切り捨て、の育児が出来る。 

けど、どっちも揃わなきゃ、育児になんねえ。

 

だって、世の中ってのは、ルールがあって。

切り捨てが出来ない、だからって、全てを飲み込んでくれる程、広くねえ。

そこで父性の登場だよな。

 

ここまで、だ。 

って形の、絶対の切り捨て。

 

子供が犯罪者になった時。

頼むから自首してくれ、にしても。

頼むから地の果てまででも、逃げてくれ、ってのにしても。

泣いて懇願して、子供だけの行く末を心配するのは母性じゃん。

 

けど、父性ってーのは、そうはしねえ。

泣いて懇願して、自首してくれ、逃げてくれ、って。

しねえだろ。

どっちかなら、

「俺の手で、決着つけたる」 って形じゃねえの?

切り捨て、だよな。

 

ニートチックな毎日で、引き篭もるくらいなら、

「出て行けーー!」 つって、息子をどつくのが、父性なら。

「仕事探しに行こう」 つって、息子を引きずって職安通いは、母性。

 

それらが、母性と父性の、違い、だな。

 

母性が包容力なら。

父性は決断力。

 

その二つがないと、人を育てるってーのは、難しい。

人間関係って、それで出来てるんだもんよ。

 

 

けどなあ、現代ってさ。

父性を持った、母親って増えてるんだって。

「ここが、ダメだから、直しなさい」

「こんなじゃ、ダメだ」 って。

現時点で、もう、決断をしちゃう。

 

それが、子供の将来を考えて、なんて、子供自身には見えないのにねえ。

それが、子供を愛してるから、なんて、子供にゃ通じないのにねえ。

だって、否定してるんだから。

 

 

そんな否定されまくって大きくなった子供が。

マトモに自分や、自分の周りを愛せるのか、ってー話だし。

父性も母性も、たったヒトリで、併せ持つ。

それじゃ、子供は迷子のままだろ。

迷子の大人が、増えるハズだってんだよ、なあ。

 

 

注 シングルで頑張っておられる、お母さんお父さんを、否定してるんじゃねえ。
   子供は、こう見てるかもしれねえよ? って話だ。

   シングルだから、併せ持つじゃなく、合わせ持て! って気持ちです。
  

 

 

だけど、年齢が重なりゃ、それだけで。
大人として扱われるんだよね。

否定されたまんまの、子供がさ。

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コメント

自身が「迷い子」だったから、
その手の心理学関係の本を結構読んでたわけですが、
ツマさんの書いてるのは心理学的にも合ってますねぇ。

母性は受容なんだそうな。
天と地で言うと「大地」の方で、受け入れ許すんだそうな。発想は「我が子は良い子」。
父性は天の方で「良い子は我が子」って発想。キリスト教チックなんだって。

母性も父性も大人になるには必ず必要で。
特に思春期は「父性」の登場が欠かせない。
別に「実のとうちゃん」じゃなくてもいい。
学校の先生でも、近所のおじちゃんでも、あるいはかあちゃんの一部であっても、「父性」の部分が絶対必要なんだと。

・・・この手の話、書き出したらきりがないので(笑)


私自身「父性」的な部分って多いなぁと思います。社会人には必要な部分でもあるしなぁ。
自覚があるから努めて「母性」を意識してたり。ま、こういうもんは備わるべき部分もあるんだけど、「弱い」なぁと感じる瞬間があるのも事実。意識的にやってどうなのかって問題はあるけれどやらないよりましだろうと思ってます。

だから、わたし基本的にいっしょに沈むことは望まないんだなぁ。
究極的にはツマさんと同じ選択をするかもしれないけど、でも、この子を連れてって発想自体ないかも。
生れ落ちた瞬間から、私とは別の人間、神様が私たちのとこに一瞬かしてくれてる魂だから、いずれ世の中に返さなくてはいけないという感覚。所有物ではなく言葉は変だけど借りモノっていうか、預かりモノっていうか、そうまさに「授かりモノ」だから、ある一定の期間、大事に大事に育てますって感覚なんだなぁ。って。

やっぱ「母性」弱いかもね。
「盲目」な部分もあるんですけど、バランスとっちゃうんですよね。

・・・キリがないのでこの辺で。

投稿: イオク | 2007年9月15日 (土) 06時03分

いま、他の人のコメント読んできたの。
で、さらにコメント入れていい?(長いよね)。

母親ってね。
心配してればいいんだって。

極端な例えだと
思春期の子がなかなか家に帰ってこないというシチュエーションがあったとすると、
おかあちゃんはね、とりあえず、
目を真っ赤にして、おろおろして、帰ってきたら「わああぁ~よかった」って、もうめちゃくちゃ心配してればいい。
だけど、おとうちゃんはね、
ぼかーーんってぶっ飛ばして
「どこほっつき歩いてたんだ!しんぱいかけやがって!」
って言うスタンスじゃなきゃいけないらしい。

いつもいつも心配してます、
いつもいつも気にかけています、
いつもいつも愛しています。
あなたがどんなに悪い子でも、
私の子だから愛しています。

私は2行上の部分が、弱いなと。。。
だから「母性」弱いなぁと。
自覚はしてるわけです。

以上。

投稿: イオク | 2007年9月15日 (土) 06時24分

もう、コメント入れるまでに時間掛かるって。何回も読んだってば。
本当、よく読んだ。何度も読んだよ。
結論は、やっぱりアタシには母性が欠落している。これは事実だ。
沈む話はね、この世は切った切られたの実力社会だから、やっぱり末っ子連れて沈むね。何とかやって行けそうな子を亭主に託すね。
アタシ抜きで、乳飲み子置いてったら子も父も不憫だろう。でも、それは母性じゃなくて、父性の気がしてしまう。きっと母性は、亭主を捕まえて共に沈んで行くんじゃなかろうか…。それともそこには、人格が入るのか。
うーむ。
もう既に、母性と父性の意味がわかってないのかな…。ごちゃごちゃしてる。
 
いかんな。両性具有か?
アタシも色々心を整理したい。この記事読んで、ますます思う。
納得するために。そして自信持って育児したい。
ありがとう。

投稿: ちゃー | 2007年9月17日 (月) 23時13分

イオクさん>なるほど・・・。
 
そうか、お母さんはオロオロしてて、お父さんはちゃぶ台をひっくり返せる度胸がありゃイイワケだ、ふむふむ。
 
つーか。
なんで母性の部分が弱い、って思ってんだろ?ってツマ的には、フシギ。
 
すげー不思議。
イオクさんの今、やってることってさ、母性そのまんまの盲目さが必要な部分って多いと思うんだけどなあ。
 
そして、上の2行目って箇所。
どんなに悪い子でも愛しています。
 
・・・人から見て、「育てにくそうな子供だよね」って部分が、ウチらお互いにあるよね?愛しい我が息子達の持って生まれた一部分には。
 
そこを、例えば。
「ああ、この子のここがこうじゃなかったら、もっと愛せた」
「ああ、この子のコレがなかったら、この子をもっと大切にした」
 
そう、思うトコがあるかい?
または、そう思う事がある?
 
ツマには、イオクさんが今やってることって、それとめっちゃ反対の事じゃね?って思ってる。
 
それがあるからこそ、我が息子に生まれて来てくれたんだよね、とか。
それを持ってるからこそ、私を母親に選んだんだよね、ってスタンス。
それこそが、母性と言わずして何と言うーーー! って。
 
イオクさんが、ここがこうなら~~って例えば思う部分があったとして、それって、「手間隙」の「世話=面倒」の部分じゃねえの?
それだと、フツーにアタリマエに皆、思ってる部分じゃねえ??
 

あーあー、抱っこばっかで、腰が痛いんだってーーー、に始まって、オムツ早く取れて欲しいわああ、だとか。まま、離乳食じゃなくて、普通の和食食べて欲しいいいいい、とか。
 
ぶっちゃけ言うと。
イオクさんの育児って、先が見えないよね。
いつになったら、こうなるああなるって見通しって難しいじゃん。したら、その面倒で世話な部分ってのは、次第にやっぱ、背負ってくモンとしてしんどくなるんじゃねえかな、と。 
 
上の2行が弱くなってく、ってあると思う。
むーん、違うのかなあ。
 
けど、文章読んでて、父性の観点で書いてあるなあ、って思った事ってホトンドないんだよね、実際。
 
大事に大事に育てます、って意識って前に。
大事やねん!ってーのが感じられるんだよね・・・。むむむ、これも深そうなお題になっちまってるんで、また記事上げてみるかい、うんうん。(笑

投稿: tuma | 2007年9月19日 (水) 16時38分

ちゃーちゃ>こっちも母性が弱い、か。
 
母性ってさあ。
 
大事に大事に育てます、って意識よか。
 
いーんや、ウチの子やねん、大事やねん!
って、意識だと思うんだよね。
 
亭主捕まえて一緒に沈むんなら、誰に子供を託してもいいって了見だよな。それはたぶん、母性じゃなく父性じゃねえ??
 
母性ってさあ。
いわゆる、子に対しての支配欲っつーか、絵永遠の片思いっつーのかなあ。
対する子がどう思ってても、関係なくて、周りがどうだろうと、関係なくて。
 
常に単一方向の与えるのみ、って感じ?
したら、自信もクソッタレもなかろう。
 
十分に母性あるじゃん?って思うけど。
そこに、生い立ちってのは必ずあると思うんだー、その履歴で自身は成り立ってるわけだから。けど、それを越えるって感覚だと、またしんどくなってくるんじゃねえかな?
 
飲み込んで、なんだけどなあ、言葉的に。
それを認めるじゃなく、もう、丸ごと飲み込んで胃液で溶かして、ウンコにしちゃう。
 
そこで初めて、ホラ。
消化(昇華 なワケで。
 
ごめん、レスがぜんっぜん、キレもコクも無くて。ごめん、為になんねえ記事で。
 
ホント、迷子の大人だなあ、ツマも。
また、ちょっと練って上げてみるべ、うん。

投稿: tuma | 2007年9月19日 (水) 16時45分

ずっと昔の記事だけど、気になったので書き込みます。

社会の論理から外れ、
否定されたままの子どもも、
当たり前に受け入れる社会もいいのにな、
なんて思いますけどね。

いい大人の子どものような甘えに、
きっと多くの大人は、嫌悪感を抱くと思いますが、
本人には必要だったのだし、いいじゃないかって思います。
そこで相手に寄り添うことで、
少しずつ落ち着きを取り戻し、冷静に周りと自分を見られるのならば。
自分は大丈夫なんだって、気持ちが湧けば。

もちろん、これを会社でやるのならば、
組織人としての立場と、
純粋にそれをとっぱらった立場との両立は、
著しく難しいのでしょうが。

組織上の選択と、
甘えを満たすための選択とが
一人の人間で行われるのなら、
否定されたままの子どもも、大人も、両方混乱しそうだし、
悩みはひとつ増えそうですね。

投稿: 2015年より | 2015年5月 8日 (金) 00時40分

2015年よりさん
 
ええええええ、ごめんなさいいいいい
今、2016年ですけど。
こっちも、色々越しちゃってたよね、すみません。
 
えーっと、日常も落ち着いたり着かなかったりで、バタバタとここ何年か過ごしていました。
ブログもさっぱりご無沙汰で、更新どころか開いてもなく・・・、久しぶりのツトメに極まってますが、とにかく返信ですよね、すみません。
 
母性と父性ですが、現在ツマ宅は、オット単身赴任中でして。2年になりますかね、父子が離れてから。
 
未だに、父性と母性を考える時があるんですよね。単身赴任してて、その間、息子はなんと野球を始めたワケですけれども。
 
そんなんやってると、はあ、父性と母性と以上を求められる日常で。
 
なんとなく分かった事柄もあって。
で、そこはまた追々と記事にしたいなと。
 
で、社会の中での甘えたい大人の立ち位置のお話しですけれども。

いい大人の子どものような甘えを許せる社会であったら、いいな、との事・・・、そして、大人になっても、それが必要であったのだから、とは、回り道をしてる迷子さんって意味と捉えましたが。
 
否定されたままの子どもも、大人も、両方ともが、そのままで生きられる世の中であったなら、素敵だな、と思います。
けれど、否定されるということは、肯定派が存在してるワケで。
 
生きるって、自身を活かすことだと思うんですよ、基本的に。大人の甘えをすることで、自身を存分に活かしている、と思うのなら、それで、その人としての人生は大成功やと思います。要は、その生き様を周囲が否定するか肯定するか、って話ですけれども。
 
このタイトルで言うなら、母性チックな考え方であれば肯定、父性チックなら否定 となるのでしょうか。
相手に寄り添うのは、寄り添う側に余裕があってこその選択肢ですね。
 
迷子に寄り添える大人で、また、そういった余裕の持てる大人が増えることで、この悩みや、それを否定する社会は解消するのかもしれませんね。
 
って、ダダッと打ち込みましたが、返信となってますでしょうか。。。

 

 

 

投稿: tuma | 2016年4月 7日 (木) 21時28分

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