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2007年12月12日 (水)

バリアフリー

 

本来の平等とは。

また、それらを仕切るバリアとは。

 

車椅子の人が居て。

車道と歩道の境目の段差を、越えるのが難しいと言う。

 

白杖の人が居て。

車道と歩道の境目の段差が無いと、どこからが車道か分かり辛い、と言う。

  

そして、そのどちらでも無い人達は。

弱者保護を謳いながら、自転車で車道を横切り。

車両の人達は、高らかにクラクションを鳴らす。

 

オーガニックなハンバーガーを買い求める人達は。

黄色い点字ブロックの上に、自転車を停め、列に加わる。

 

子供は、その列を避け切れず、車道を走る。

そして、また、車両が高らかにクラクションを鳴らす。 

  

    

発達障害が取り沙汰されているが、診断を受け病名が付いたところで。

補助金が出るわけでもなく、訓練所があるわけでもない。

今まで通りの「少し変わった、困ったちゃん」が、病名を持つだけ。

 

ホームレスの空き缶収集に、待ったの声が聞こえてくるが。

住所不定無職の人々の冬に、待ったは通用するのだろうか。

 

出生率を上げようと、児童手当が増額されたが。

亭主の残業手当は、自己申告制で、いつまでも月4時間程度。

  

妊婦健診にも行かず、出産時に病院をたらい回されて。

挙句、死亡。

家族が医師と病院と市を訴えた。

 

命は大切です、と、メディアが特番を作り、ゲストが涙する。

その命を。

未だ産み出せない命は、番組を見てまた、自己の命を否定する。

 

ボクシングの防衛には成功したが。

いじめっ子に勝ったとのコメントの存在は、すでに「いじめっ子」

 

画面の向こう側では、雌の鮭を擬人化し、

「お母さんが命を賭けて、卵を産んでいる」 と情感的に放映する。

同日のゴールデンタイムでは、同じ画面から。

お笑い芸人が、大口を開け、山盛りのイクラ丼を食べ散らかしている。

 

捨てる事と、託す事の違いを外野が騒いでいる日常では。

今年、8人の赤ちゃんが、ポストに託された。

うち何人かは、障碍を負っていて、8人の前途は報道されない。

 

食品の安全性が叫ばれる中、偽装を行っていた企業が次々告発される。

安全性と産地特定を宣伝文句に、泥付きの高価な野菜を宅配する業者は。

同じ産地の、同じ品物を、値上げしていた。

 

女性専用車両には、障害者も乗車可能だが。

白杖の男性は、乗車した途端に

「ここは、女性専用です」 と姿無き刃に切りつけれらた。

彼はヘルパーを伴ってしか電車を利用しなくなった。

 

駅に備え付けてある、二段構えの立派なステンレス製の手すりは。

冬に触ると、とても冷たく最上下段まで体重を預けられない。

だけど高齢者が手袋をしたまま、捕まると安定性は補償されない。

 

男性と女性の平等を、叫ぶ内容も色々だけど。

叫んでいるのは、女性が多く、男性は。

果たして平等の意味と意義を見出せているのだろうか。

 

水道トラブル5000円、パイプの詰まりは8000円。

インフルエンザの予防接種は、大人一回3000円で、子供は二回で3000円。

早くて安くて安心ね、だけど。

タミフルは自己責任の元に使用で、プライスレス。

 

原油は高騰し、輸送に伴う経費で消費者の財布は、二重苦を強いられる。

過疎地に住む年寄りは、今年、どうやって寒さを凌ぐのだろう。

けれど、わが国は先進国であるといい、どんな山奥でもガス料金は徴収される。

 

未来を案じてと、資源のない、この国は言いながら。

食材の半分以上は輸入に頼り、田畑には道路とビルが並ぶ。

子供の喜ぶハンバーガーは、全て輸入食材。

働くママのお手軽コンビニ弁当もまた、輸入食材で賄われている。

 

生産者の顔が見えない不安から、家庭菜園を始めた。

プランターに入れる、土も種もまた、輸入物。

MADE・IN・JAPANの文字が、冥土インに、見え始めた。

 

格差とは、差異ではなく、そこに階級を見出す。

けれど、赤ん坊は。

生れ落ちる先を決定出来ないまま、皆、同じ、裸で産まれる。

 

競争社会を、学歴社会を改めようと、謳うのは。

果たして、その社会の登頂を極めた者達なのか。 

 

耐震設計事件の絡みで、建設認可をもらうのに半年以上かかる。

労力とコストのバランスは、次第に歪み始めるだろう。

しわ寄せは、耐震用とは関係なく暮らす、小さな明かりに忍び寄る。

  

 

バリアフリーとは。

己の得と、人の得を天秤に掛けて。

計りながら算出するモノからは、決して生まれない。

 

ホンモノは。

自身の得にならぬ事を。

相手の得と思い、必要とし、扱い、喜べる心から、始まる。

他人の必要を、我が必要と、思う、添える余裕から産まれる。

  

 

相手の必死さ、を、我が身の必死さ、と思い。

相手の一途さを、我が身の一途さと、思う。

 

 

食べる物が無い時には、皆で分け合う助け合う事を、覚え率先しても。

飽食時代に突入したとなったら、奪い合う事に血道を上げる。

 

人は考える動物だ、って言うけど。

もしかしたら考える知恵がある分だけ、余計な畜生だな、と、思う。

 

 

人であれ、相手が場所が時間が、状況が。
例え何であろうとも、人で、あれ。

いつも、いつも、そう願う。

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コメント

これ等がすべて解決できたら
どんなにいいだろうと思う。

まぁエコがエゴになってる感じ?

例えば自分の場合、Myレジ袋&My箸を使用
だけど・・・車乗り回してちゃ説得力無いってことっすよ。

投稿: 通りすがりの名古屋人 | 2007年12月13日 (木) 08時57分

名古屋人さん>ありがとう、まずお礼だけど(笑 こんな長い、キレッ端みたいな文章を最後まで読んでくれて、お礼を言うよ!
 
そう、全てが解決出来る、ってね、どんな法方があるだろう、って、思う。
 
優しいハズが自己主張だったり、ね。
そんな時、ツマも多いから・・・。
 
Myレジ袋&My箸ってとこらで、もう嫁さん要らねえな(笑 そんで、アイドリングしてりゃ世話ねえや、って。
 
大爆笑しながら、さっすがナイスコメントだああ!って思ったけど(笑 
 
バリアとか、フリーなんてなあ、本当は始めから無い物ねだりなのかもしれねえし、なあ。 

投稿: tuma | 2007年12月14日 (金) 20時55分

真実っていっぱいあって
どれも「ほんもの」なんだよね~。

それが困るっていうか、
だからおもしろいっていうか・・・。

今の社会は、
今までよりさらに価値観がいっぱいになってきちゃって、
もう何が良くて何が悪いことなんだか区別つかなくなってきたり。

大事なことって基本的にはあんまり変わらないはずなんだけどなぁと思うけど。


モノがなかった時代の方が、
モノに価値観を見出してた時代の方が、
心は豊かだったのかも。

投稿: イオク | 2007年12月14日 (金) 22時37分

この矛盾の中で、どうやって清らかに生きたらいいんだろう、と
幼い頃から考えているつもりではいるんだ。
でも、日常の1コマ1コマを生きていると、切捨てが生じるのは事実。
そんな時、純粋で幼いだけだったアタシは、当時、日々が辛かった。
ちょっとカテ違いなんだけど、雨が降ってる時の外仕事やら寒冷地の生活やら。
結果、そういう状況を打破するだけの知恵と努力がまず必要なんだと思い、
とにかくそういう努力を実践してはみた。
でもね、このトシまで生きて、トシ相応の経験を踏んでくると、
それだけじゃ折り合いが付けられない根の深い事がどうしても見えてくるよね。
そしてそれは、一個のジャンルのこの部分、じゃなくて、星の数ほどある。
いい人で清らかなほど、罪な場合が多い世の中になっちゃってるよね。
そうだよねぇ、人でありたいよね。
人助けも感情移入が先じゃ、実は駄目なんだよね。
人であるには、どう生きるべきなのか。
国対国とか、自治体レベルとか以前に、自分自身にこそ課題が多い。
うーんと唸ってしまう記事、年末にありがとう…。
来年の抱負が出来上がりそうだよ。

投稿: ちゃー | 2007年12月17日 (月) 00時18分

イオクさん>選択肢が多いから、楽しめる、ってのは、自身の道がはっきり見えてる人だろうなあ。
 
じゃないヒトって、「自分探しの旅」とかって、すぐ現実を見ずに、海外に流出してる気がする(笑
 
だけど、そうさせてるのも、この国が小さいから、なんだろうけど、ちゃーんと、見なきゃいけない物があるハズなんだけどね。
 
豊かってのは、何かを目指してる時に、得られるもんじゃないのかなあ、ってツマは思ってんよ。到達したら、すぐ、次、って現代じゃ、ずっと走ってる状態で、豊かからは、程遠いような気がしてる。
 
矛盾してるけど、目標を設定することで、自分が見える時もアルワケだから。
 
そうだね、豊かさ、を忘れずにやってきたい、よね、うん。

投稿: tuma | 2007年12月18日 (火) 00時44分

ちゃーちゃ>もう、来年の抱負かあ。
 
早いだろ(笑 
 
 
今、必死で一年を振り返ってる。
そんで、ムスコの発達障害のテスト結果で、それが、データで現れるような気がしてて。
 
データだけだからね、医者が見るのは。
それも、どうなんだか、って思いながら、来年の駒の進め方も考えようかなあ、って。
 
切り捨てが、キライなツマは。
今も、やっぱり辛いヒトコマがある。
 
けど、それらって多分、必要なんだろう、って思うし、だからって切り捨て賛成って思わない。自分が頑張れば、いいやんけ、ってね。そっちに行ってんだよ(笑
 
来年、か。
そうだな、新しい一年がまた始まるんだけど、その前に、コメ大どうすっか、とかって、考えながら、切り捨て御免で日常のアレコレやってる深夜一時前、はい(笑

投稿: tuma | 2007年12月18日 (火) 00時47分

丁寧に生きたいって言った気持ちと、実はこの記事、リンクしてんだよね。
何を成せば、これらの事が少しずつでも解決に繋がるか、
ボンヤリ、いや、本当は明確に判っているんだアタシも。
その辺に、来年の抱負を置きたい。

それにはまず、子育てで社会から一線退いたサビた頭に電気入れないと。
5年て長いぜ。
新聞なんか積んでくもんと化している(笑
 
振り返る間もなく来る新年と社会情勢に、頑張って乗ろう。
アタシも切捨てを減らしたいよ。

投稿: ちゃー | 2007年12月18日 (火) 01時13分

ちゃーちゃ>社会そのものに変化を与えるなら、自身の周りから。
 
波紋は必ず広がる。
大きな事をしなくても、演説なんか必要なくて、小さな事を継続しながら、よく聞こえる見える心さえあったら、必ず変わる。
 
そしてね。
子育て、そのものが「変化の第一歩」かもしれねえぞ?(笑
 
来年、なああ。
来るなああ、確実に・・・。
 
 
 

投稿: tuma | 2007年12月19日 (水) 18時49分

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