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2011年2月17日 (木)

同じ空の下で

風がキツくてね。

だけど、揚がってた。

 

青くて雲ひとつない空に、吸い込まれるように。

 

伊達さんの心意気から始まった2011年ですが。

そろそろオレの出番な矢吹君も登場したりして。

 

ウチもランドセル、週末に5~6個、買いに走ろうぜ、

アタシ、伊達直子やるから!なんて。

オットに話してた矢先に、先、越されましたがな。

 

養護施設にドンと、赤、黒のランドセル。

地域柄特産品?のきびだんご付きで。

 

息子の同級生に、親と離れて暮らしてる子がいてる。

いい子なんだよ、素直でね。

園で会うと 「○ちゃんのママ~~~!」ってね、笑顔で手ぇ振ってくれんの。

施設関連で働いてたって知人が言うには、

「施設の子って、新しいもの、自分だけのもの、がないからね~」

「お下がりじゃない、自分だけの何かって物をすごく喜ぶねん」て話で。

何か私に出来ることってないやろか、なんて思ってた。

 

以前に知人のブログに、

「寄付って余ったお金でするもんじゃない」

って記事を読んだことがあって。

その一言が、今も沁みてる。

自分の食べ物を削ってでも、食べさせてる。

その気持ちと行動が、寄付に値するべき行為なんや、と。

ボランティアも一緒やねん。

余った時間、余暇で行うって、奉仕そのものの行為としては

確かに正しいんだけど、ボランティアをしよう!って気持ちは。

本来なら、自身の都合に関わらず出来るときに出来ることを・・・、で。

まず、余った云々からの発祥ってのとはチト違う。

 

施設の子ども達が、一般家庭の子どもと交流を持つ場合。

ま、早い話が園外で一緒に遊ぶってヤツやね。

普通なら、「今日、遊ぼ」 「うん、いいよ」 って決まるねんけど。

昼夜担当の申し送りやら、持たせるものやら、何やら・・・、てね。

確実なアポを取ってから、(当然、相手先を要確認) ってね。

今日の、明日の、て大人の都合優先で、話にはならへん。

そんなら、って手順踏んで (ええ、一応アタシも大人の端くれ 

ウチに遊びにおいで~、ってね、その子に話したら。

「え?!」 って顔した後、

「行きたい!」って言ってくれたのは、去年の夏。

午後から息子とウルトラマンだ、ブロックだ、って遊んでその後、

「またおいでや? ○君の好きなクリームソーダ、買っとくからな!」

と約束をして、半年以上。

会うたびに、すれ違うたびに。

「○ちゃんのママ~~!」 ってな、手、振ってくれんねん。

あんな小さい子が、愛嬌ふりまいて。

決して前に出るタイプの子じゃないのに。

どんな遠くからでも、私を見つけて走ってくんねん。

 

父兄参観日に。

一人、見慣れない茶髪ソバージュのお母さん。

子どもと園外に凧揚げに行くっていうのに、エナメルのピンヒール。

真っ赤なコートと、長い爪。

目ざとい父兄は、もう輪を作って噂してる。

「あのヒト・・・・ね、だから、お商売して・・・」

「お化粧も、しっかり塗って・・・あの子の・・・」 なんて。

和じゃなくて、輪なんだよね、くだんねー。

 

あの子、赤いコートだけを追いかけてた。

ピンヒールで歩く、彼女の足元で子犬みたいに。

 

自分からは、決して。

「○○君のおうちに遊びに行きたい」と言わない、あの子。

凧を揚げながら

「もう~~、こっち、こっちだって~!」

「もう!僕がやるし!お母さん、下手やな!」 ってね。

言いたい放題で、やりたい放題。

そこには遠慮のカケラも見つけられない。

もちろん、私に愛想する余裕なんかある訳ない。

 

凧がね、風を抱いて、すっすっと揚がって行き始めると。

「見て!見てみてみて!お母さん、見てー!」 って。 

 

伊達直人はランドセル何個贈っても、適わへん。

ランドセルを背負った君が。

その姿を一目でも見て欲しいヒトは。

赤いコートの、お母さん。

 

凧を作ってる間中、子どもの背中を、手元を覗いてた、お母さん。

どの輪にも入らず、ぽつんと川面を見つめてた、お母さん。

 

お母さん、アンタ、伊達直人とちゃうねんで。

頑張りや、頑張ってんやろけど、だけど頑張りや。

頑張ってるのは、アンタだけじゃない。

こんなに、こんなに頑張ってるあの子が居てんねん。

 

アンタが頑張ってる間に。

アタシ、クリームソーダ買って、一緒に飲んで待っとくからな。

息子のお友達として、目一杯、大歓迎してオヤツも奮発するからな。

心配なら、アンタもウチに来たらいいんやで?

ホットケーキ、余分にもう一枚、焼いとくわ。

 

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コメント

何でそうなるんだろう?ってのが・・・ホントのホントの感想です。

自分が、何不自由無く育ってきたんで、何で?って思ってしまうのか?
自分が、親の頑張りを目の当たりに見て育ってきたんで、何で?って思ってしまうのか?

なんだかモヤモヤする・・・

まぁとにかく、みんな真っ直ぐな人に育って欲しいと思うばかりです。

投稿: 通りすがりの名古屋人 | 2011年2月18日 (金) 08時57分

私は10歳のとき 母に…父が言うには「捨てられた」実際はアホな父が捨てられた…(笑)

水商売で頑張ってた母いつも、帰りを待ってた母 いいにおい 優しい笑顔…忘れない。
その後は、親戚をたらい回し、児童養護施設…
自分が母になり、いろんな世間の水を飲み、人生のいろんなこと、わかるようになって、あのときの母の気持ち少しはわかったような気がするよ。

30年たった今でも おかあさんに会いたくて会いたくて…恋しいです。

投稿: | 2011年3月11日 (金) 07時36分

名古屋人さん>そうだね。
なんで??がたくさんある光景だよねえ。
それで当たり前だと思うねん。
 
なんで一緒に暮らさないのか。
なんで待たせてるのか。
なんで父兄参観にワザワザ赤いコートかよ。

そんで、なんで子どもはやっぱりお母さんなんやろか、ってね。
 
世の中、なんで?だらけや私も含め(マジ
 
だけど、そのなんで?にはきっと真っ当な理由があんねん、人それぞれに。
背負ってるモンがそれぞれ違うからね、背負ってる人もそれぞれに違うんやから。
 
難しいねえ、世の中ホンマに・・・。


 

投稿: ツマ | 2011年4月 1日 (金) 00時40分

名無しさん>
会いたくて会いたくて、恋しい、か。
  
うん、ずっと忘れず恋しがってあげてな。
お母さんが、もう会えない人であっても、会える人であっても、お母さんと別れた時の幼い子どもの時の自分を、自分の気持ちを忘れないでいてあげて欲しい。
 
それが例え、憎しみや恨みになる可能性があって苦しみに導かれるかもしれへんとしても、「母を乞う」気持ちを忘れずに、「今」を生きて欲しいねん。
 
お母さんも産んだ子のことは絶対に忘れへん。忘れようと足掻いた日々はあっても、忘れた日は一日もないハズや。
 
ほな、また!

投稿: ツマ | 2011年4月 1日 (金) 00時55分

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